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レーザービ−ムを振らせ、これを普通紙複写機のドラムにあてて電子写真的に記録する方法に思いあたったのです」(Y路)この頃になるとガス・レーザーがいよいよ実用段階に入っていた。 当時、レーザーの光源として有望視されていたのはヘリウムネオンである。
七三年(昭和四八年)春、たまたまシカゴに出張したY路は、米国のゼニス・ラジオ社から一枚の感光紙を持ち帰る。 それはヘリウムネオンガスのレーザー記録用に増感きれた青色の酸化亜鉛紙だった。
この感光紙の分光感度を測定してみると、硫化カドミウム素子を用いたキヤノンの電子写真用NP感光体でも十分に感度があるということがわかった。 そこで七三年夏、Y路はEBRの研究を中止させ、その研究者たちを、ヘリウムネオンガス・レーザーとNP電子写真法の組み合わせによるレーザービ−ムプリンタの研究開発に投入することにした。
で偏向させたヘリウムネオンガス・レーザーを照射してみたのです。 するとボ|ツとしたサインカ−ブがプリントアウトされた。
これが当社におけるレーザービ−ムプリンタの研究開発のはじまりといえるでしょうね」(Y路)レーザービームプリンタの研究開発チームは、ヘリウムネオンガス・レーザーが硫化カドミウム感光体にダメージを与えないこと、相反則不軌の検討、光量と感度の関係といった基礎的な確認をした後に、プリンタとしての製品化の可能性にチャレンジしていったのである。 たところ八OO万円もするという。
とても手が出ないので、アメリカのメーカーに照会し社内プロジェクトを編成してポリゴンスキャナの開発をスタートさせたのです」(Y路)彼らは実験セットにミニコンをつなぎ、漢字や図形、日本地図などの出力テストを繰り返し行なった。 その結果、優れた解像度の画像を記録することに成功する。
実験装置で非常に印字品位のよいプリントが得られるという見通しが立った一九七四年カ月たらずの期間で、「NPlL7」をベースにしたオフラインプリンタ「LBP14000」を完成きせ、ショーへ出品した。 実はレーザー方式のプリンタは、それより一カ月前の七五年四月にIBM社が開発に成功しており、「IBM13800」としてすでに発表されていた。
問機はNCCには出品されなかった。 これがキヤノンには幸いする。

おかげで「LBP14000」はレーザープリンタとしては世界初公開ということになり、世界中の関心が集中したのである。 に複写機で実績のあった独自のNP電子写真プロセスをプリントエンジンとして採用できたからなのです。
(Y路)キヤノンのLBP開発チ−ムは、その後もレーザー光に最適な感度をもつ感光体や反転トナ−の開発、複写機とは桁違いにレベルの高い感光ドラム表面層の開発、クリーニング方式、定着装置の開発といった新たな課題を乗り越えなければならなかった。 さらには、レーザービ−ムプリンタに特有なレーザーピ−ムの偏向、変調のためのオリジナル技術(光学設計・加工、機構、制御技術など)の開発に全力を尽きなければならなかった。
こうして七六年(昭和五一年)三月にオフラインプリンタシステムとして「LらかといえばLは画質に優れ、Dは印刷速度が優れていた。 キヤノンでは新たに開発したレーザーピ−ムプリンタの特徴を次のように整理し、対外的に積極的にアピールした。
印刷画面が非常に鮮明独自に開発した超精密スキャナとNP電子複写技術の結合で鮮明な印刷ができる。 データと同時に印刷することが可能なため、出力フォーム紙の在庫は不要となり、その費用を節減できる。
務用標準サイズとして扱いやすく、保管にも便利である。 行、4000Dでは一分あたり四000行を印刷することができる。
刷費用の大幅な節減になる。 最初の頃、レーザービ−ムプリンタのユーザーはだいたいが大企業のコンピュータセンターであり、キヤノンはそれまであまり経験のなかった大型コンピュータの専門家を相手にしなければならなかったが、アメリカや日本国内での反響が大きかったことから、レーザービ−ムプリンタを事業化するにあたって、次の三つの方針を打ち出した。

自社ル−トで販売する製品を開発し、販売体制を整備するアメリカのHP社(ヒューレット・パッカード杜)、国内では日立製作所や沖電気工業と技術援助契約を結んだ。 とりわけHP社と関係ができたことは、その後で同社と大量のこうしたことを通してキヤノンは従来にはなかった多くの貴重なノウハウ、すなわち、複写機では考えられない長時間連続運転への対応技術、信頼性への考え方、大規模な情報処理装置のためのハードウエアやソフトウエア技術などを身につけるのである。
累計生産台数一二OO万台、世界シェアの七Oパーセント一九七五年(昭和五O年)の春にレーザーピ−ムプリンタの開発に成功して以来、キヤノンはプリンタ分野では七六年(昭和五一年)十月に「LBP2000」、七八年(昭和五三年二二月に「LBP3500」、七九年(昭和五四年)十月に「LBP18000」、八O年ステムのシリーズ化を実現していった。 商品名の数字は分あたりの印刷行数を示しており、たとえば「LBP12000」なら一分間に二000行打ち出せるという意味である。
やがて印刷機能もしだいに向上し、漢字、バーコード、図形の印刷から、様式やデータが印刷できるフォームオーバーレイ(書式同時印刷機能)などが付加されるようになった。 この問、キヤノンでは半導体レーザーの活用によるLBPの小型化の開発に着手。
光学や電子写真プロセス、機械、電気の技術者を投入し、液乾式普通紙複写機「NPlL7」を母体に数多くのコストダウンの検討を行ない、七九年(昭和五四年)四月に世界初の小型レーザーピ−ムプリンタを発売する。 価格化を実現したもので、従来の機種が数千万円の価格であったのに対して二OO万円を切るものだった。
印刷スピードはA4判で一分あたり一0ページの高速、高印字品質、多種フォント、漢字、グラフィック印字、低騒音、フォームオーバーレイなどの機能を備えた画期的なプリンタである。 に普及するには価格が高かったので特殊な用途にしか使われなかった。
だが、もしプリンタの大市場であるワープロやパソコンの分野にフィットした商品さえ開発できれば、爆発的に売れる可能性を秘めていたのである。 八二年(昭和五七年)半ば頃、エンジン部をカートリッジ化した画期的なパーソナル複写機「PC10」および「PC120」の生産が開始されようとしていた。
「PC」シリーズンタ。 1979年当時、従来の機種が数千万円というなかで、200万円を切る画期的な商昂だった。
中森明菜のテレビCMで大ヒットした、いわゆる「ミニコピア」である。 このPCをレーザービ−ムプリンタのべ−スにすれば小型化・低価格化が実現されるという見通しがたつ。
画像形成のプロセスを一個の箱のなかに入れてしまうプロセスカートリッジ化は、メンテナンスが不要なばかりか、印字品質の保証などで従来の問題点を一挙に解決する画期的なものであった。 そのプロセスカートリッジ化の開発がスタートした噴、アメリカで他社が小型レーザーピ−ムプリンタの販売活動をすでに開始しているとの情報がY路のもとに寄せられた。

Y路は、当時レーザービ−ムプリンタ開発の総責任者だった北村喬とともに、アメリカの各コンピュータメーカーを訪問する。
言葉は悪いが、どさ回りの営業活動である。

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